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旧針惣旅館

針惣(旧針惣旅館)は宮城県仙台市若林区南材木町にて1861年(文久元年)に創業しました。当時は旅館業ではなく、味噌・醤油・野菜などを商う一方、戦前まで小作米の受付所や質屋も営み、金融業などにも手広く事業を展開していました。先代はこれらの事業を通して、詩人の土井晩翠や学者の阿部次郎らとの親交も深かったと言われています。

第二次世界大戦後の1951年、仙台市中心部の旅館が焼失し、当時の仙台に宿泊施設が不足していたことから、針惣は「針惣旅館」を開業。
戦後間もない時代の東北大学に訪れる学者たちをはじめ、政治家の市川房枝、角川書店創業者の角川源義らが宿泊。他にも仙台に巡業する力士たちの宿泊所や県外から訪れる学生の合宿先としても利用され、多くの人の信頼のおける旅館として1987年まで営業していました。

旅館として多くの人々が足を踏み入れた建物でしたが、旅館の閉業後には住居として使用され、その内部が人目に触れることはなくなりました。
建物内部には明治中期の建築を代表する海鼠壁や、1932年に増床された和洋併置式住宅など、時代を彷彿させる建築がそのまま残されています。その建築様式などが評価され、2017年に『旧針惣旅館』として「杜の都景観重要建造物等」に指定されました。

それぞれの時代の建築を感じられる針惣旅館は、時代を作った人々の文化と匂いが行き交うところ。当時の人にとって互いの異質さこそが魅力的に受け入れられる、全ての人の居場所だったのかもしれません。